岩魚を食べる

 

釣りに行って釣った魚を食べる。普通のことである。

岩魚だって同じだ。自分で釣って、自分で食べれる分量、せいぜい12尾程度を食することはよくある。

世の中がいろいろ変化してくると、

自分でも気がつかないうちに、取り返しのつかないことをしてしまっている可能性がある。

 

人は生きるためには他の生物を犠牲にする。これは、動物が自然界における消費者なのだから仕方がない。

では、どの生物は犠牲にしていいが、どの生物は犠牲にしてはいけない、などと言えるのか。

今、世の中では、他の種を絶滅させるような捕獲は禁じられている。

さて、自分が岩魚を釣って食べることは、種を絶滅させることなのか。

 

岩魚は養殖も行われているし、厳密にこのことを考えても、多分結論は出ないと思う。

養殖岩魚と居付きの岩魚のDNAと、どこがどう違うのか、なんてことになっていきそうで。

だから、釣れるなら2尾まで自分用に頂きます。僕でも釣れる川には、他に10倍のイワナがいるだろうから。

釣れない川の岩魚は大切にします(当然、食べようがない)

と、勝手に自分流のルールを作ってしまっている。

 

何はともあれ山に入って食べる岩魚は格別である。

一時は、岩魚の刺身の料理をしたくて山に入っていた。

刺身は、ワサビ醬油、づけ、たたき、マリネ、なめろう、酢じめなどなど、いろいろやった。

どれも初めは美味しい、がそのうち飽きがくる。

だからまた新しいレシピを考える。

 

さばく時はなるべく水を使わない。

頭の後ろからむなびれにかけて皮にナイフを入れ、背中の皮に前歯で嚙みつき、一気に皮を剥く。

このとき左手は下顎を持っているのが、もっとも力が入るような気がする。

皮が剥けたら、よく拭いたまな板の上で三枚におろす。

ここまでが結構大変で、これから先は単なる味付けであり、楽しみながらできる。

 

刺身の身を取った跡の骨と頭は、岩魚汁の貴重な具になるので、そのまま鍋に放り込む。

こちらは、味噌味あるいは塩胡椒味、またはニンニク醬油味など楽しめる。

岩魚汁には長ねぎを忘れずに。これは下から持参したものを使う。

 

骨酒を作るためには、あえて中型の岩魚をしめた。

塩焼きと異なり(当然だが)塩はふらずに焼く。

じっくり焼く。焼き枯らすと言う。火で炙って、水分を全て飛ばしてしまうようにする。

変に生焼けだと、生臭い骨酒になってしまう。

焼き枯らした岩魚を、熱燗の中に入れて、凝縮した旨味が酒の中にしみ出るのを待つ。

 

こうして森と、岩魚と、お酒の夜が更けていく。

 

嫌な思い出の一つ、奥秩父の柳小屋(修復以前の)で、

釣りまくった中小の岩魚を、いくつもビニール袋に入れて天井からぶら下げているグループがいた。

あの岩魚をどうするつもりだったのだろう。みそ漬けにして土産にでもするつもりだったのか。

柳小屋はきれいになったが、真の沢も、股の沢も以前の面影はない。

確かに、罪の一部は私にもあります。

 

奥秩父の岩魚に黙禱。