死ぬ思い

 

山で死ぬ思いをした、という話をすると、

我が家の奥さんから、山行きの禁止命令が出るので、あまり話したことがない。

山に行くのも渓流が主な目的のために、通常の登山よりも危険度は高いと思う。

多少の気休めになるかと思い、最近は携帯電話を持って行くが、谷間では通じたことがない。

 

山での安全は、純粋に自分一人の問題である。

複数人で出かけても、いざとなったら自分の安全は自分で守るしかない。

死ぬかもしれない、と思った状況から無事帰りついたときに、ではどうしたら良かったのかを痛切に思う。

今、数えて見ると本当に死ぬかと思ったことが3回は(も)ある。

 

笛吹川の東沢渓谷に行ったときのことである。

渓流沿いの山道を歩いているときに、ふと渓谷の淵を覗いてみたくなり、慎重に谷の方へ降りていった。

山道からの急な斜面には樹木は無く、古い切り株と苔むした倒木がいくつかあった。

20mくらい下に蒼い淵が見えるところまで来て、急斜面に座り込んで見ていると

突然、肩の両側から首をはさまれ、強い力で後ろから押された。ずるずると落ちながらも、身動きができない。

頭の中が真っ白になり、あ〜落ちる、と思ったとたんにガクンと止まった。

 

よく見ると、大きな倒木の端がY字型になっており、そこに首が挟まっていた。

倒木が何かの拍子に滑り出し、僕を押しながら渓流の流れに落ちようとしていたのだった。

そのY字の片方の端が切り株に突き当たって止まっていた。

倒木の股から首を外し、何とか山道に戻った時、体中がガクガクと震えていたのを覚えている。

山の上からは何が落ちてくるか分からない、という教訓である。

 

新潟の泥又川にOさん、Hさんの3人で行ったときのこと。

数回通ったことのあるゼンマイ道であったが、沢に降りる最後の詰めで道に迷ってしまった。

Oさんひとりがはぐれて先に行ってしまい、沢の方でどうも声がする。それも緊急を知らせているらしい。

Hさんと二人でザックを背負ったまま、上に下にとルートを探した。

 

どうしてもルートを見つけられず、この下にテントサイトがあるはずと見当をつけた崖を降りようとした。

既に体力は尽きていた。今思えば、同時に気力も抜けていたような気がする。

その崖は、ほとんど垂直で、正常に考えればノーザイルで降りれる訳がない。

ただ、この下にテントサイトがあると思い込んで、吸い込まれるように崖を降り始めてしまった。

2mほど降りたところで、我に返った。そこから上に登るのがまた一苦労であった。

 

この時は、結局Oさんがひとり誤って滑落、怪我をし、翌日ヘリコプターの救助を受けた。

僕とHさんは、滑落死一歩手前で這い上がったのだと思う。

現場には、山に慣れた福島のO氏のグループが、偶然幕営していたため焚き火や食事で非常に助けられた。

O氏のグループからはいろいろ教えられたり叱られたりした。

 

教訓はいろいろあるが、僕はこの時から、体力の50%内での活動を基本原則とした。

50%とは感覚だが、まだ正常な判断ができる体力を想定している。

生きる知恵は、体力が残っていてこそ湧いてくると思う。

要は無理をしない、ということか。