大井川東俣紀行(大門沢越え)

2002.8.8〜8.12

昨年は東俣に来ることができなかった。

今年はどのルートで入るかを悩んだ。一昨年と同じ大門沢を入り口、出口として使うか、初めてのルートとして塩見新道を入り口、出口として利用するか。結局、車のアプローチの短い大門沢を選ぶことにした。塩見新道から入るには、三峰川の大曲まで行く必要があり、車で5時間以上の運転になる。大門沢なら、奈良田まで3時間で着くので楽なのである。

前日に、詰めたザックの重さを体重計で図ると20K以上あった。あせって減量を試みるが今さらどれも削れない。えーい、とテントを止めツェルトにする。重さはちょうど20Kになった。うーむ・・、大丈夫だろうか。

 

8月8日(木) 晴れ

寝不足になるのを承知で、夜の1時半に起き2時に家を出た。奈良田の発電所横登り口に5時20分着。

車を停めて一休みしていると、目の前を中年男性の登山者が一人、割と軽装で登って行った。山小屋泊なのだろう。軽食を取りながら準備をして6時少し前に歩き始める。

しばらく林道を歩く。山道になりアップダウンを繰り返しているうちに吊り橋を2つ過ぎる。広河内川の取水口の横を通って3つ目の吊り橋を渡る。8時前、この頃から下山者とのすれ違いが多くなる。2本の流れ込む枝沢を過ぎると、道は急な登りとなる。登り切ると、登山道は広河内川から離れて林の中の道となった。

また緩やかな登り道となるが、ザックの20Kがやけに重く感じ始める。桂の木の巨木がいくつもある。木漏れ日の中で休憩する家族連れがいる。決して急な登りではないが息切れがする。再び川沿いの道となり枝沢が流れ込むところで軽食を取る。

9時40分に大門沢小屋に着く。予定より少し遅れている。これから登りがきつくなる。先が少し心配になった。1時までに下降点まで行けないと、今夜のテントサイトへの着が心配だ。

川沿いの急な登りに喘ぎながら、広河内川へ降りる最後の水場に着く。11時30分、1時間近くの遅れだ。しばらく日向を急登する。再び森の中の道となるが、ゴロタ石が多い急な道となる。崩れた石垣の上のような登山道を登っていると、すぐに呼吸が荒くなり、膝に手を乗せて下を向いて休む。だんだんその間隔が短くなり、休む時間が長くなる。すぐに休みたくなるのは気力が続かないからだ。多分、寝不足のせいだろう。

潅木帯を抜けると、稜線直下の小さな鞍部に出た。13時20分。これからこのルートで一番きつい登りになる。夏の日差しの中、潅木もない、高山植物の繁る急斜面を、ジグザグに高度を稼がねばならない。立ち止まって休む間は、風が冷たく気持ちよい。歩き始めるとすぐに息が切れ、200m程度の高度差に40分かかった。

14時過ぎに、黄色い鉄骨と小さな鐘が目の前に現れ、稜線に出たことを知る。この鐘は、冬のこの地で雪の中、下降点を見つけられずに遭難した学生のご両親が、息子の鎮魂に建てたものだ。ここを通過する登山者は、みな鐘を鳴らして大門沢に降りていく。

しばらく鐘の横に大の字になってノビル。30分後、東俣への下降点になる広河内岳を目指し、稜線を南に歩き始める。

広河内岳の山頂に、何故かカラスが1羽、岩の上にとまりじっとしていた。

山頂からは、池の沢へのガレた斜面を降りていく。足が痛い。膝の内側が痛む。下りの斜面を踏ん張るが、痛くて力が抜けるようだ。這い松の間を降りきり、大きな岩の積み重なった上のルートを降りる。この岩場を過ぎると岳樺の潅木の林となる。ところどころ這い松帯となり、歩けなくなると左岸の斜面を歩く。初めの水場の水はさすがに美味しい。

池の沢に、水の流れが現れてからは沢沿いに下りる。池の沢池の手前で倒木が多くなる。倒木の上を歩いて乗り越え、池の沢池に着く。17時。

一昨年と同じ、池の傍の草むらにツェルトを張り、ビールを飲んでいるうちに眠くなった。急いで飯を作りカレーを食べて寝る。

夜半に目が覚め、寝返りを打つ。膝の裏の痛みに顔をしかめる。いやな予感がした。

 

8月9日(金)雨のち曇り

朝6時、いつもの通りゆっくりした時間に起きる。ツェルトの外に出て歩いてみる。右膝が痛む。下山中に膝が笑うという状態があるが、少し歩いても同じ感じになる。急に気が萎えてくる。どうしようか悩みながらコーヒを飲んでいると霧雨になった。

このまま東俣に下りる自信が薄らいできた。いや、東俣に下りても再び源頭まで上り、農鳥岳を越えて大門沢を下りることができるのか、どこまで行けて、どこ以上が限界なのか自分で分からない。昨年の泥又川での経験から、自分の体力の50%でできる範囲が安全圏という意識がある。今年は残念だがここで引き返した方がよさそうだ、そう心につぶやきながら、再度歩いてみる。やはり右膝が痛くて歩けない。

暫くここに留まるつもりで、再びシェラフの中にもぐり込み、ウトウトする。雨が降り始める。大粒の雨がツェルトの表をたたく。内側の水滴が細かい雨となる。2年前は問題なくここを通過できた。疲れと耐荷重の無さは明らかに年のせいだろう。しかし、このまま帰るのも癪だ。

9時を過ぎた頃に雨も止んだので、起き出してツェルトの外に出る。先程までの膝の痛みが、急速に和らいでいる感じがした。これなら行けるかもしれない。そう思うと、慎重になる気持ちがどこかに行ってしまい、ひたすら先へ行きたくなる。急いで支度をする。10時に出発すれば、12時半に広川原、休憩を入れて魚止めの滝上には16時過ぎには着くだろう。

池の沢池より下は、右岸に踏み跡が途絶えながら続く。右膝をかばいながら、踏み跡をたどり、不明瞭になると沢沿いに下る。膝は心配した程には痛まない。池の沢出会いの広川原には13時に着いた。今回は池の沢小屋には寄らずに先を急ぐ。

東俣本流を上りながら枝沢の水で昼食をとる。一昨年もここで昼にした覚えがある。後はひたすら歩く。東俣はこの辺では、まだまだ川原は広く歩きやすい。渓畔林がある場合は、その中に踏み跡が必ずある。魚止めの滝は左を越える。

滝の上も暫くは落差があるが、そのあと瀬の連続となり右岸にさらには左岸に大きな渓畔林が広がってくる。右岸の渓畔林が始まったところをテントサイトとする。一昨年と同じ場所だ。

 

8月10日(土)晴れ

今日は、三国沢を農鳥沢と分かれる二俣まで登るだけにする。午後は、足の休養をかねて、この付近の散策をすることにする。

二俣で昼飯を食べてからひたすら下りてくる。13時30分にテントサイトに戻る。

テントサイトの渓畔林の中を歩く。

分かっているようで分からない樹木が多い。結局、渓畔林の中の主になる木本の写真を撮り、帰って確認することにする。確認できた木は、砂礫地(川と連続している平地)にはオオバヤナギ、オノエヤナギ?、山地の裾にオガラバナ、オオヒョウタンボク、段状になった渓畔林にはシラビソ、キオン(草本)など限られた。重い図鑑を持たずに、この付近の植生を知るには先は長そうだ。

 

8月11日(日)曇り時々晴れ

今日は、東俣三国沢を上り詰め農鳥小屋まで行く予定だ。二俣までは行ったことがあるがそれから先は初めてだ。三国沢を登り詰めると登山道が横切る。塩見岳方面から農鳥岳へのショートカットのルートである。一昨年に通ったことがある。三国沢の源頭が水場になっていた。登山道から見た三国沢は、なだらかな潅木、草原の中の流れに見えた。

二俣まではいつもと違い釣りをしないで快適に登っていく。滝やゴルジュも無く初心者でも快適だろう。足元を標高2300mの渓流が流れる。

二俣まで来た。しばし休憩する。ここの標高が2450mある。傾斜はなだらかで、とても源頭間近とは思えないが、まわりの稜線がかなり低くなってきていることと、岳樺の曲がった白い幹が多くなっていることから標高の高いことは分かる。ここから300m登れば登山道に出る。

農鳥沢とに分かれた後は、水量が急に少なくなる。それでも流れは緩やかだ。岳樺の潅木が主になってくると、流れは階段状となり、まわりの見晴らしがよくなってくる。

周囲に潅木も無くなってくると目の前に、三峰岳、間ノ岳の直下のカール状地形が展開される。

さすがに水が細い流れとなる頃には、傾斜は大分きつくなり、そのうち枯れ沢となる。登山道はまだか、と思っているうちにヒョイと道に出た。山道は下から見ていると分からないものである。

これで大井川の源流部を登り通したことになる。通算で言えば奈良田越えから上なので大したことはないが、ともかく一方の端まで来た。もう一方の端は河口近くの上を通過したことしかないが、それでも両端を制覇した。などと他愛のないことを心の中で祝った。

この登山道は2750mの等高線にほぼ沿って、三国平から農鳥小屋まで結んでいる。南側に大井川東俣のパノラマが広がるが、尾根筋では無いためか、あまり他の登山者に出会ったことがない。農鳥小屋に向けて歩き始めると、初めて登山者に会った。今日は熊の平まで行くという。東俣を登り詰めたことを話す。

小屋のある間ノ岳−農鳥岳の稜線に出る前に、農鳥沢を横切るため一旦100mほど高度を下げ、再び急斜面を尾根に上がる。苦しいが、初日に感じた足の痛みが無いので安心する。諦めずに来ていて良かった。稜線の上には夏の雲が広がっていた。

農鳥小屋は小さな小屋が密集していくつも建てられている。管理小屋で、テントサイトの利用料(500円)を払う。小屋の間を抜けてテントサイトに出る。稜線は西から強い風が吹くため、テントサイトはすべて東側(富士川側)を平地にして作られている。テントサイトに立つと、夜叉神峠の向こうに甲府の街並みがかすかに見えている。ここからはうまくいくと携帯電話が通じるはずだ。試してみたがだめだった。

この標高でツェルトを使うのは初めてだった。一枚のビニールシートで何とも頼り無かったが、なるべく大きな石を重りにして設営し、少々の風でも大丈夫と思えるようにした。寝床の準備ができると水くみだ。このテントサイトは水場がある。東側に100m以上、下に降りたところにある。空の水筒を持って、高山植物の間を下りるのは楽しいが、水を2L以上持って上がってくるのは、1日が終わった後には結構しんどい。下りていく時にすれ違う登山者は皆黙々と登ってくる。

ビールを飲み、不味いご飯をカレーで食べ終わる。携帯をまた試してみる。家にかけると息子が出た。どこにいるのか話したところでプツリと切れる。通じたのだろうか。

暗くなってくる頃に雲がわき起こり甲府の町が見えなくなった。残念ながら夜景が見えない。上空にも薄い雲があるようで星も見えない。仕方がないのでシェラフにもぐり込み寝ることにする。

夜半に起きると、甲府の夜景が見えていた。遠くの山の間に光の海が広がっていた。

またしばらくすると、ツェルトが風ではためく音で目が覚めた。かなりバタバタと大きな音がする。シートの内側に着いた露がばらばらと落ちてくる。手や顔が冷たい。シェラフから手を出して周りの物をさわると皆濡れている。これは不味いと起き出して、ツェルトの外に出て点検をする。しかしどのロープもしっかり張られていて緩んではいない。風も思ったより強くない。そよ風程度だ。仕方なくまたシェラフにもぐり込む。

それから夜明けまでツェルトのはためく音が続いた。多少の恐怖感と、濡れてしまうことへのいらだちで寝つけなくなった。

 

8月12日(月)晴れ

小屋立ちの人の歩く音と声につられ4時30分に起きることにした。

朝飯を食べ、濡れたツェルトを畳む。最後の日は結局これでザックが重くなる。跡地をきれいに整理して出発する。富士山が、朝日の中で雲海の上に浮いていた。

これから西農鳥岳、農鳥岳を経由して大門沢下降点まで尾根を行く。岩場が多いが、西農鳥へのアプローチ以外は急登など無く楽なルートだ。

西農鳥の山頂で、振り返ると農鳥小屋と間ノ岳が見事に見える。その向こうには北岳の顔ものぞいている。

農鳥岳まで来ると東俣を間に、塩見岳が間近に見えてくる。

さらに農鳥岳を過ぎると、大門沢下降点の鞍部までが見通せるようになり、稜線歩きは終わりに近づく。

下降点には8時50分に着く。軽食をとり、黄色い鐘の塔の横を下り始める。実は今日の昼飯を用意していない。昼までに車まで戻るつもりでいた。

13時20分奈良田の車止めゲート着。コンビニでパンを買うことにする。

 

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