大井川東俣紀行(井川越え)

1999.8.18〜21

 

8月17日 (日)

昨年の大井川東俣で立てた計画を実行する夏が来た。

今年は、三峰川大曲から入り、支流の大横川を詰め、井川越を越えて東俣に入る。

東俣では、乗越沢を下って本流に入り、三国沢で遊ぶ。帰りは池の沢出会いまで下り、

雪投沢を詰めて塩見岳を越え、塩見新道を下って三峰川大曲に至る予定である。

3泊の予定で、最終日は2000m〜3000m〜1200mの標高差を1日で登り降りするので少し不安である。

いつものように前日の夜に、中央道をひた走り、杖突き街道を南下して三峰川大曲に着いた。

大曲の駐車スペースには他に車がいない。夜の1時、月が出ていた。

明日への興奮を押さえて、ビールを飲んで寝る。

 

8月18日 晴れ

夜の間に駐車場に車が入ってくる音を何回か聞いた。目を覚ますと4台車がいた。

朝飯を食い、支度をしていると年配者と40位の二人連れが話しかけてきた。

漁協の人で、入漁券の現場売りと岩魚の状況の確認に、熊沢の取水口まで行くらしい。

こちらの予定のルートを説明すると、大いに感心し取水口まで乗せて行ってくれるという。

三峰川は天竜川水系の漁協が漁場の管理をしているが、大井川は当然漁協が異なる。

実は、三峰川支流の大横川では1泊するので釣りをする予定だったが、特に言わなかった。

 

歩けば3時間以上の道のりを軽自動車に揺られて、あっと言う間に取水口に着く。

取水口ではわざわざ岩魚の群れる場所を教えてくれた。のぞいてみたが今日は留守のようだった。

お礼を言ってザックを背負い河原を歩きはじめる。

大横川までは広い河原と、河畔林の中の小径が1時間続く。

 

11時、大横川の出会いの河原は広く、夏の日差しが照っていた。

思いもかけず早く着いてしまったので、大横川に入ってすぐに竿を出した。

水量はあるが、底の石まで日差しに照り返しているような日中に魚が出てくる訳がない。

今日の予定は枝沢まで。枝沢の少し手前の右岸にちょうど良いテン場があった。

ザックをおろして枝沢に入ってみる。

 

枝沢は、入って100mも行かないうちに二股となり魚止めになる。

テン場に戻り寝床の準備をする。今回はテントを持って来なかった。

タープを、ツェルトのポールで低く張り、下に銀マットを敷き、エアーマットの上にシェラフで寝る。

夏だ、天気は良いはずだ、と決めつけて荷物の軽量化を図った。

とりあえず1日目は大丈夫そうだ。

 

ビールを飲み晩飯を食い終わり、シェラフにもぐり込む。夜の冷気が静かに顔をかすめていく。

テントの生地に空気が遮断されていない分、山に浸っている気がする。

普段よりも川の音が、石の転がる音が、木の枝の折れる音が鮮明だ。

クマが出て来たらどうしよう。

 

8月19日 曇り

6時にシェラフからはい出る。片づけて8時にスタート。

10時に大滝が目の前に現れる。

地図では流れが1本だが、2本の流れが、滝で1つに合わさっているように見える。

落差は30mはありそうだ。確かに大滝だ。

ルートは右にあり岩場をトラバースしていけば楽に越えられそうだ。

滝の前で一休みし写真を撮る。水のしぶきが霧状になり辺り全体が湿っぽい。

 

大滝を越えると、霧の様な小雨が降ったり止んだりになった。

勾配がきつくなるにつれ、水量が減ってきた。11時を過ぎて、大横川もかなり詰まった感じがしてきた。

空腹にもなったことなので水流があるうちに昼食にした。

階段状の岩場でラーメンを作る。小雨が降ってくる。

 

12時、水が無くなってからだいぶ登った。勾配がかなりきつくなる。

ルンゼではあるが、砂利と砂が固まって硬くなっているような斜面のため、フェルト底でも滑らない。

ガレ場にいく筋も縦の襞ができ、その襞の間に挟まっているような感じで、体を突っ張ることで落ちないでいる。

感覚的には70度以上の傾斜だ。普通なら滑り落ちる。

襞が浅くなってきた。まずい、突っ張ることができない。微妙なバランスで壁を登る。

頭の上に細い切り株が垂れ下がっていた。思い切り手を伸ばして掴み、体を引っ張りあげる。

細い登山道に出た。その向こうにお花畑が広がる。

蜘蛛の糸を伝って、地獄からお釈迦様の天国にひょいと顔を出した気分だ。

 

井川越に出た。

今来たルートを振り返ると、切り立った崖が落ちている。

20Kのザックを背負って滑り落ちなかったのが不思議だ。

最後の切り株が無かったら尾根には上がれなかっただろう。

せめて簡易アイゼンを付けていれば良かった。逆ルートでは50mザイルが絶対に必要だ。

ルート確認のために、登山道越しに前後のガレ場の様子を見てみても、今のルートが正解に思える。

 

登山道に出ると大井川側はお花畑が続いている。雨の中を熊の平小屋に向かって歩く。

熊の平小屋は樹林の中にあった。小屋の水場を過ぎたところで、乗越沢と思われる細い沢を下りはじめる。

多分、ルートは小道にあるのだろうが、沢を下りた方が気持ちが良い。

沢が太くなり、落ち込みに小さい岩魚が群れている。雨も止み、明るくなってきた。

勾配が無くなったところで、東俣本流と合流した。

 

標高2200mで、ゆるやかに東俣は流れている。ほとんど瀬となって、亜高山帯の樹林の中を流れている。

出会いから少し下ったところに草地のテン場があった。川から離れた所にタープを張り、今夜のねぐらとする。

時間があるので、早速竿を出し三国沢に入る。日本最高地点の岩魚を求めて。

流れには、多少倒木はあるが歩きやすく、まさに地上の楽園だった。

自分だけの時間と、とっぷりと浸かることのできる自分だけの自然の中で、岩魚と遊ぶ。

 

8月20日

今日は、夕方までに池の沢小屋に移動する。それまで三国沢を、竿を出しながら登ってみることにする。

東俣をここまで来ると、上高地の地形に似ているのだろうか。

ここを少し下れば魚止めの滝とそれに続く急傾斜の沢がある。この乗越沢出会いを前後にした一帯は、

滝の上の段丘のように、ゆるやかで広い河原が続いている。

その河原にヤナギの一種や、シラビソなどが亜高山帯の河畔林を構成している。

 

3時間ほど遡ると梢の間から三峰岳−間ノ岳の稜線が見えてきた。

岩魚のあたりも少なくなったのでそろそろ終わりにする。

 

テン場に戻り、タープやその他を片づける。

いつも引き上げ時は、何となく今度はいつこの場所に来れるのかを考える。

この場所は、できるならば来年も来てみたい。そして、体力があるかぎり毎年来てみたい。

ウェストンが見た上高地が、僕の上高地がここにあるような気がする。

14時にテン場を離れて、大井川の東俣を下り始める。

 

しばらく穏やかな瀬と若干の落ち込みを歩き、突然瀬が無くなり魚止めの滝になった。

右岸を慎重に降りる。難しくはない。

これから先は、昨年も歩いているはずである。が、意外と思い出せない。

池の沢の出会いに17時少し前に着いた。昨年見たのと同じ広い河原が広がっていた。

河原を大きく横切って、小屋のある左岸の草地に向かっていく。

草地の端から渓畔林の小高い丘に登っていくと池の沢小屋がある。

 

小屋には誰もいなかった。昨年と同じように床が傾いたまま、林の中に静かにあった。

昨年より小屋の前が雑草で覆われていて、小屋の入り口には小さな照る照る坊主がつるされていた。

小屋の中は少し黴臭く、薄暗いが、訪れる人が大切に、きれいにしていることがわかる。

古い作りの無人小屋では、奥秩父の柳小屋よりきれいかもしれない。

昨年と同じに寄せ書きのノートがおいてあった。

 

8月21日

昨年は6時前に小屋を出発したが、今年は何となく遅くなる。荷物をまとめ7時20分に小屋を出る。

今日は雪投沢を詰めて塩見岳に出て、塩見小屋を経由、塩見新道を下って三峰川の大曲に至る予定である。

雪投沢が1950mからスタートし、塩見岳が3046m,大曲が約1250mだ。

小屋の前の小道を下り広河原に出る。誰もいない広河原を横切り、本流を少し下ると雪投沢の入り口がある。

雪投沢は最初は急な曲がりで登り始める。

途中、特に大きな滝やゴルジュなどなく高度を稼いでいく。

9時30分を過ぎたあたりから流れは細くなり源頭の雰囲気となる。

沢は階段状になり、両岸も岳樺などの灌木と高山植物のお花畑になる。それと同時に小雨が落ちてきた。

 

 

左右が同程度の二股となる。稜線に出るルートとしてはどちらが楽なのか、地図からは判別できない。

塩見に近い左を選ぶ。塩見に至る稜線に、直接出れるとは思わないが、池の沢の詰めと同じイメージでいた。

細い流れをたどって左のルンゼを登ると、すぐに右手から沢に降りる小道がいく筋かあることに気づく。

太めの小道に入り、坂を急登すると、テン場に出た。5m四方くらいの楕円の平地だ。

そんな平地が小道で結ばれていくつもある。なるほど、登山地図ではテントのマークが付いていた幕営地だ。

もちろん施設は何もない。水は、この雪投沢の源頭に汲みに降りるだけの純粋な幕営地だ。

 

テン場をたどりながら右へ、上へ移動する。これ以上の上に行く小道が無くなる。

稜線はまだはるか上である。稜線に出なければ、という気持ちが焦りになった。

テン場を外れると這い松の領域である。むりやり這い松の藪に入りこみ、高度をかせごうとする。

しかし、這い松の領域は簡単には突破できないし、単に歩くことさえままならない。

霧雨と高度のために寒かったのが、這い松の中をあえいでいると汗だらけとなってくる。

 

しばらくあえいだ後下を見ると、下方の幕営地から右側尾根に向けて白いガレ場がルートのように見えてくる。

しまった、あれだ、と思ったがそこに至るまでには再び這い松の中を(今度は下り)あえぐ必要があった。

幕営地を右に右にと行けば良かったのを、上に向かったのが失敗だった。

体力を消耗したが、やっと稜線に出ることができた。

 

天気は部分的な晴れと、一時的な雨の繰り返しだった。

稜線で一休みをすると、塩見岳に向けて再び登り始める。

13時、塩見岳は霧の中の岩の山頂であった。登りも下りもかなり急な部分がある。

塩見小屋に至るルートで雷鳥に会った。初めての雷鳥だ。よく見るとつがいだった。

1羽が張り出した根の先に乗って囮となり、片割れが安全な場所まで移動するのを待っていた。

ほとんど飛べない、根の先からは正にどさりと地面に飛び下り、2羽で逃げ去った。

 

塩見小屋でカップラーメンを食べる。

昨年、財布を持たずに山に入ると山小屋の恩典を頂けないことを知り、財布は持ってきた。

塩見小屋には湧き水が無く、水を売ってはもらえなかった。

小屋の横にはテントサイトもあったが、水は無く、トイレも有料、ヘリでの持ち降ろしということだった。

これからの長い下りに水の量が不安であった。一休みをしてから14時に下り始める。

 

塩見新道への分岐は塩見小屋からすぐにあった。

しばらく登って権右衛門山を越えて、三峰川水系に張り出た長い尾根を下り始める。

16時30分に2000mのポイント、18時30分に大黒沢の登り口に到着。

三峰川林道もさすがに薄暗くなりはじめているなか、諤々する足で大曲に急ぐ。

巫女淵の湧き水も真っ暗な中で音を立てて湧き出ていた。

 

車に戻り、ザックを下ろすといつものようにホッとする。

最終日がやたらつらいが充実した4日間だった。

 

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