2005年3月の徒然
2005年3月8日(火)晴れ 腰痛の診断
昨日、近くのK病院で、腰のMRI撮影を受けた。今日はその診断結果をK病院に聞きに行った。レントゲン写真と同様に、腰椎のズレは大きかった。やはり1cm以上ずれているらしい。しかし脊髄の通り道は、しっかり確保されていて大丈夫とのこと。痛みには慣れるしかないですね。そうでなければ、骨のズレを元に戻す手術しかありません。と言われて、薬治療の選択肢を選ぶ。同時に、理学療法(牽引)を受ける手続きもしたが、こちらはあまり通院できそうにない。家では、背筋や腹筋をできるだけ使って鍛えるように、とアドバイスを貰う。結局、膝痛や肱痛と同じ対処方法になった。
K病院を後にして、藤沢の日大に向かった。研究生応募のための研究計画書の相談と、H先生の推薦状を頂きに伺った。昼飯を、旧友のF氏と食べる。H先生は新潟に出張でおられず、講師のK先生の話を聞く。H先生は、年度末は受託研究などのとりまとめなどで忙しそうである。
2005年3月9日(水)晴れ 花粉症
O園の仕事に行く。朝の道で、サクラの開花を見た。一輪だけだったが、確かにピンクの花が開いていた。今日は、花粉が多そうだ。昼を過ぎると、鼻はグズグズ、目はショボショボになってきた。今年初めての重度発病である。夕方、仕事の帰りに、例年買っている鼻炎の薬を買う。朝見たサクラの樹を確認すると、10輪以上は開いていた。ソメイヨシノかどうか確認し忘れた。明日の朝、できたら確認しよう。
2005年3月13日(日)晴れ 赤谷の日
群馬県の新治村から、夜の7時に戻ってきた。赤谷プロジェクトの「いきもの村」は、少なくはなっていたがまだ雪が多かった。雪の中で様々な生きものの痕跡を見て歩いた。木の皮に猿の食痕、その下の糞、うさぎの足跡、食い残された頭、テンの糞、カモシカの足跡などなど。今日はクマタカを2度見た。カメラに納めたが、鮮明でない、残念だ。来月からは、炭焼きの準備を始める予定になった。
不鮮明だけど、クマタカです。
2005年3月16日(水)晴れ 樹木の写真の整理
O園の仕事に、ポツリポツリと空きの日がある。今日もTGさんは、新しい仕事の見積りに三鷹の方まで出かけた。このところ空きの日は、脊椎のズレのリハビリと、樹木の写真ページの整理をしている。ホームページ用サーバをYahooに変更したことで、300MBまで使えるようになった。そこで、樹木の写真ページをYahoo photoから自分のホームページ内に引っ越すことにした。いままでphotoの制限でできなかった説明も、いろいろ書き加えることができる。だから時間もかかる。1つの種のページを作るのに1時間近くかかっている。この調子だと、全部終わるのに300時間くらい必要だ。1年かかりそうな気がする。
2005年3月17日(木)曇りのち雨 天気予報
昨日の天気予報では、今日は晴れだった。朝のテレビで、今日は雨が降ると言っていた。外れることもあるので、原則、家を出るときに降っていなければ、仕事に行くことにしている。TGさんは予報の変化を知らなかったようだ。今日は、門扉の取り付けで、セメンを使うつもりだったが、雨となって悩んでしまった。取り敢えず顧客先まで行くと、留守だった。結局は予定を取りやめ、置き場の物置の整理をすることにした。11時ころから降り始め、昼には本降りになっていた。天気予報が当たった。
2005年3月18日(金)晴れのち曇りときどき雨 お彼岸と林試の森
今日はまた臨時の休み。午前中は晴れていたので、親父とおふくろを車に乗せてお墓参りに行く。帰ってきてから、今度は電車で林試の森に出かけた。ホームページの、「樹木の写真」を整理していると、意外な木の写真が無いことに気付く。そろそろ冬芽の写真が撮れる最後になりつつある。東急に乗って林試の森に着いてみると、空は暗くなり雨が降り始めた。今日の予報に雨は無かったはずなのだが。30分ほど、管理棟で雨宿りをしていると雨は上がった。急ぎ足で公園を一周し、気がついた冬芽の写真を撮る。あまり成果は無かった。
2005年3月19日(土)晴れ 姪の結婚式
姉の娘の結婚式だった。生まれたときから、そばで見ていた女の子が結婚をする、というのは何ともめでたいな、と言う気持ちになる。自分の娘の時には、そうはいかないのかもしれない。会場は、葉山の静かな住宅街の中だった。個人宅を改造した洋食のお店で、建物は新しい壁と古い扉とが混ざってできていた。そう広くはない庭で式を行い、そのまま写真を撮り、中に入ってパーティになった。日本庭園で牧師さんが「アーメン」とやったり賛美歌を唄ったりするので、江戸時代の隠れキリシタンの気分だった。
2005年3月20日(日)晴れときどき曇り 早春の丹沢山
天気が良さそうな日曜日なので、自然公園指導員で丹沢山に登った。今年度の定例ルートとしている塩水橋からの登山道を行く。もう少し、雪が少なくなっている事を予想していたが、堂平の北側斜面や山頂近い尾根筋は、まだ50cm近い雪が残っていた。雪があっても、さすがに3月半ばを過ぎた連休は登山客が多い。みやま山荘では、昨日は20人の泊まり客があったそうだ。仙台から車で来て、2泊3日で塔ヶ岳、丹沢山、蛭ヶ岳を歩いているご夫婦と、お話をしながら昼飯を食べた。下山途中に冬芽の写真をいろいろ撮った。
2005年3月22日(火)曇りときどき雨 研究生選考試験
日大の森林資源科学科の研究生選考試験を受けに行く。試験と言っても面接である。学部卒業後に、特定科目を受講したり、研究生として大学に通うことを希望する学生もいて、同じ科では7名ほど受験生がいた。早めに申し込んだので、面接の順番は1番だった。試験官は3名で、後で聞くと、いつもは若い学生相手なので、試験官の方が緊張していたとか。26日には合格通知がいくでしょう、とのこと。同じ科に、亀戸のフジの手入れで一緒のOさんがいて、ここでも一緒に受験した。Oさんは今年71才で元気な方である。
2005年3月24日(木)晴れ M園の仕事
O園が暫く空きそうなので、M園に連絡した。1カ月ぶりにM園に手伝いに行った。現場は蒲田の近く、しばらく空き家だった個人宅の庭木の整理だ。もともと大きな木はないが、数年放置してあったために、ボサボサになっている。草を刈り、枝をばさばさ切ってさっぱりさせる。そう大きくはない庭の真ん中に、「自然の森」と書いた板が立っていた。前の住人の好みに反した手入れをしたのかもしれない。3時には終わり、事務所に戻る。M園も、仕事はしばらく無さそうだった。自営の顧客の開拓を、何か工夫しないと、今年は苦しくなりそうだ。
2005年3月27日(日)晴れ 丹沢大山総合調査中間報告会
掲記報告会が桜木町で開催された。定刻13時には、300名の会場がかなり満員になっていた。報告会と言っても、各テーマごとに調査結果の報告がある訳ではなく(そんな時間は無い)、本当の概要報告と、大きなテーマごとのパネルディスカッションが行われた。内容的には時間不足、総論的だったが、個々の話題の中には個人的に興味のわくものがあった。配られたパンフレットにはe−Tanzawaと言うデータベースの紹介があったが、家でネットで探すと、まだ工事中だった。このシステムが早く公開されることを期待したい。また調査企画部のリーダを努める先生から、丹沢再生を新しい自然再生プロジェクトのモデルとなるようにしたい、と言う提案があり大いに賛同である。
今日は二宮の活動日でもあり、4月末に行うイベントの打ち合わせで、6時までに二宮に行く約束をしてある。報告会を途中で抜け出し、二宮に移動した。メンバーのOさん、IKさんと居酒屋で8時まで。
2005年3月31日(木)晴れ 造林・風致研究室
日大の研究生試験に合格した。これからは、時間がある時には、ともかく藤沢まで行くことにする。研究内容はともかく、研究室に慣れて、まずはいろいろな機材を使いこなせるようにしようと考えている。
(2005年4月の徒然)に続く
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