2003年12月の徒然
2003年12月1日(月)雨
いよいよ師走になった。しかし3日間、雨が続いている。
先週も、火曜日が雨で仕事を3日休んだ。年末の忙しいこの時期に、台風が来たり、長雨だったりで植木屋は大変だ。
グリーンセイバー試験の勉強をしている。現代日本人の凄まじい大量消費、大量廃棄の数字が出てくる。1993年の数字で、1年間の資源消費量23.6億トン(海外から7.2億トン)、ゴミの量は3.1億トン。これを一人1日当たりにすると、32Kgの国内物質と、16Kgの輸入物質を消費し、6.8Kgのゴミを出していることになる。当然、産業廃棄物も含んでいるので生活実感とは違う。が、一人当たりの責任数値ではある。このときついでにCO2を7.7Kg放出しているそうだ。
夜になっても雨は降っていた。明日は晴れの予報だが。
2003年12月5日(金)曇りのち雨
昨日は以前の会社の仲間との忘年会だった。会社でゴタゴタがあったので大分遅れてしまい、楽しい会のため、その分帰りも遅くなってしまった。
朝の現場への車の中が、温まると眠くなって困った。今日の現場は橘中学校で、学校の隣の林地に隣接した藪の草刈りと清掃作業だ。学校の裏手で人通りが少ないせいか、藪の中はゴミだらけだった。テレビ、ガスコンロ、ソファー、アルミホイール、毛布、カーバッテリー、金庫、冷蔵庫、扇風機、ラジカセ、カーラジオ、書いていたらきりがない。敷地は2m以上のネットフェンスに仕切られていて、金庫を投げ入れるのは大変だったはずだが。
昼に車で弁当を食べていると、バンがやってきて前に停まった。中から中年の男性が、花とお線香を持って出てきた。こちらに気づくと、近づいてきて、「今朝、ここで自殺があったのですよ。私が第一発見者になってしまい、しょうがないのでお弔いに来ました。」と言われる。エ〜、まさか藪の中で首でも吊っていたのでは、と心配になった。「まるでドラマのように、ドアの隙間に目張りをして排気ガスを車内に引き込んでいました。あそこで。」と道路の反対側を指さす。僕も行きがかり上、雨の中、一緒にお線香をあげ、今日の仕事が無事終わるように祈るはめになった。
午後の2時過ぎにダンプに積んだゴミを、清掃工場に捨てに行く途中、交差点で衝突事故を目撃した。軽のワンボックスが横転していた。帰りには救急車が来ていた。今日はいろいろ事件が続く日だ。クワバラクワバラ。
2003年12月6日(土)曇り
雨の予報だったため会社は休みとなった。が、結局雨は降らなかった。最近、予報が当たらないのは気象衛星の打ち上げが失敗しているせいだろうか。
「伊能忠敬と日本図」の特別展を国立博物館に見に行った。50歳を過ぎてから天文学を学び、73歳で死ぬまでに、子午線の1度の長さを測りたいと言う夢の実現から、さらには科学的な正確さで、日本という島の形を見えるようにした科学(技術)者である。展示されている日本図は大図(全国を200枚以上で表す)、中図(全国を8枚で表す)、小図(全国を3枚で表す)の数々である。大図の村や町には人家らしき絵が描かれている。小図は一目で日本全体が見える。すべて伊能が歩いて測量した結果と思うと、その偉業を感じることができる。それぞれの図の精緻さに驚くが、それらの図の元になる「原図」の上には地図作製時の工夫・苦労が感じられた。
2003年12月9日(火)晴れ
今日は常盤台小学校のヒマラヤスギの剪定に来た。校庭の片隅、体育の道具小屋の前に、樹高10m、幹周2mはある巨大なヒマラヤスギだった。
先輩のTさんと二人で登る。一つ一つの枝先の処理は、それ程難しくはないので時間はかからないが、ともかく枝数が多く鬱蒼としている。下の方の枝は長く、その先まで行くことができない。上に行くに従い、枝は短く、混んでくるようになり恐怖感は薄らぐ。
学校の休み時間になると、子供たちが校庭にあふれ危ないのでこちらも休憩にした。昼までに8割ほど終え休みにする。2時30分にはTさんが2/3、僕が1/3ほど剪定し終え修了。遠くから見ると、風に小枝が流れ、涼しげ(寒そう?)だった。
2003年12月12日(金)曇り時々晴れのち雨
今日も天気予報がデタラメだった。前日には、晴れて18度くらいの暖かい日になるとの予報だった。ところが実際にはほとんど曇りで夕方には雨が降りだした。iモードで天気予報を見ると、予報が実際を刻々と追いかけているのが分かる。予報ではなく天気の実況中継のようだった。
雨の中、昔の仲間との忘年会に行く。飲んで騒ぐと皆明るいが、給料のカットやら、組織替えやら、話題はそう明るくはなかった。植木屋の仕事は後がないので、これ以上悪くなりようがないが、サラリーマンはまだ後があるということだ。みんな頑張れ。
2003年12月14日(日)晴れ
昨日は久しぶりに二宮のフィールドに参加した。参加、と言っても忘年会(収穫祭と命名)なので、飲んでおしゃべりをしてきただけ。
今日は、鶴見の技術校の仲間との忘年会で、夕方に相鉄線の天王町へ出かけた。植木屋稼業、ケアプラザ勤務の公務員、体をこわしたPC相手のデイトレーダなど、今の食い扶持はさまざまな集まりだけど、去年は同じ教室で学んだ仲間だ。いろいろな情報交換をしてきた。
2003年12月18日(木)晴れ
今日は植栽の頼まれ仕事で、S造園全員の8人で新宿まで出かけた。30分早出で7時に出発したところ、首都高がわりと順調で8時30分には現場に着いた。
10本の高木(トウカエデ)と400株のオオムラサキを植栽する。トウカエデは二脚鳥居と添え木を支柱とする。トウカエデが到着してみると、予想以上に大きな植栽で、3人で持つのがやっとの重さだった。やっとのことで植え枡まで10本を運ぶ。植え穴堀は久し振りの穴堀だ。
二脚鳥居と天神のシュロ縄結びを任されるが、もちろん細かいところを覚えていない。もたもたしていると怒鳴られる。続いて添え木とのシュロ縄結び。これは初めての結び方だった。出戻りのKさんとやって、3時前にやっと終わる。オオムラサキの植え込みはあらかた終わっていて、次には植え枡の整地、清掃に入る。
予定通り4時に完了し、帰路につく。新宿の片隅の街路樹だったが、植えた木の何年か後を見ることは無さそうな気がした。
2003年12月20日(土)晴れ時々曇り
今日は事件だった。YSさんが道路脇の法面の草を刈っていて小石?を飛ばし、サイレンを鳴らして走ってきた救急車の窓ガラスを割ってしまった。作業場所より道路は4mくらい上だし、間にはガードレールもあるし、石が飛ぶなどとは思ってもみなかったので、始め救急車が止まり、中から救急隊員が出てきたときには、何かの間違いだと思っていた。救急隊員が怒っているのをよく見ると、窓ガラスが割れていた。
幸い患者を迎えに行くところだったために、救急は別の車を手配したらしい。消防の本庁役人が来て、警察が来て、簡単な現場確認が終わり、双方確認が済むと皆いなくなり、作業をしていた我々だけとなる。それでも信じられないような事故だ。まわりは広々した場所なので、刈り払いが小石を飛ばした以外には考えられないが、そのこと自体がウソのような石の飛び方だ。それが、救急車に当たってしまうとは。
YSさんはどこか運が悪いところのある人だった。YSさんが使用している時に、10万回に1回の機械の故障がよく起きるような。宝くじの1等の番号が逆に並んでいたような運の悪さだ。YSさんの今日の星占いは何だったのだろう。
2003年12月22日(月)晴れ
県の公園協会が募集していた非常勤職員の採用面接を受けた。県立公園の植栽管理の仕事で、1年契約のため毎年この時期に募集がある。昨年度は鶴見の技術校に募集があり、応募したが不採用だった。給料は決して高くはないが、いろいろな条件を総合すると魅力のある仕事だった。今年は一般応募のため、植栽管理の仕事の経験が10年程、と言うのが募集条件だ。しかたがないので職業履歴を少し変えて提出しておいた。
面接が始まると、昨年の応募のことがしっかりバレていて、職歴が少し違いますね、と言われてしまった。年齢条件も55歳〜を満たしていないとの指摘。今年も不採用になりそうだ。不採用にした人の個人情報は、すぐに棄てて欲しいし、条件を満たしていない、と面接で言うつもりなら初めから呼ばないで欲しい気がする。
夜はS造園の忘年会だ。焼き肉を嫌になるほど食べた。
2003年12月26日(金)曇りときどき晴れ
S造園での仕事の最後の日だ。事故やトラブルの無いことを念じながら仕事に出る。このところ続いている鶴見の道路の除草作業だ。尻手陸橋の横の道路脇の草を刈る。除草作業の途中で、北部第二下水処理場の現場代理人の引き継ぎのために、Tさんと二人で処理場に行く。戻ってくると、本日の予定の作業はほぼ終わっていた。まだ昼前だ。電話で社長と次の作業の確認をすると、場所を指示された。昼飯を食べてから移動。そちらの作業も3時に終了したところで、社長から追加の作業の指示が来た。3日程前に除草した現場の、ホームレスの住跡のゴミを撤去してくれとのこと。大したことはないと思っていたが、これが意外とすごいゴミで、全員でウンザリしながら4時には帰路についた。やっと終わった。
物置の私物を車に積み、事務所でいくつかの引き継ぎを済ますとやることはなくなった。皆にお礼を言って別れる。10カ月弱の付き合いとは言え、名残は惜しい。
家に帰ると公園協会から封書が来ていた。開けると非常勤職員の面接に不合格の通知だった。これはまあ予想通りだった。
2003年12月28日(日)晴れ
今年最後の二宮のフィールドに参加した。国道1号を西に走ると、雪を被った富士山が目の前に現われる。周りの景色により、富士山の大きさが大きくなったり、小さくなったりして見えることが面白い。
午前中フィールドの右側を、下の方から竹の整理をした。まだ右側は、枯れ竹や切り倒したままの竹が散乱していて、整理を進めると見た目にもさっぱりしてくるのが分かる。昼になると、山主のWさんも久し振りに来られた。1升びんを二本ぶら下げてこられたので、酒盛りになった。聚の事務局の自称、鍋奉行のITさんが豚汁を、リーダのIKさんが特製餃子を用意していた。1時半を過ぎると酒盛りをほどほどにして、竹の整理を再開する。
帰りがけ、来年の予定を伺いに新しい職場のM園に寄る。ここも酒盛りをしていた。仕事は昨日までだったと言うので、大掃除の後の忘年会兼慰安会だろうか。ときどき手伝いに来ると言う、おじさん二人の家族連れを交えて賑やかだった。まあ、飲んで行きなさい、と言う勧めで缶ビールを頂くが、ほどほどで引き上げることにした。来年は10日を過ぎてから始めるらしい。僕の都合と合わせたら13日が初日になってしまった。
2003年12月30日(火)晴れ
1年ぶりの洗車が終わり、年賀状も書き、家の掃除も終わってしまったのでやることがない。午前中は借りてきたビデオを見て、午後は三つ池公園でバードウォッチングをすることにした。最近、運動不足気味なので自転車をこいでいく。
三つ池公園の水鳥は、まだ本格的に揃ってはいないような気がした。池の縁で投げられる餌に群がっているのは、ユリカモメとキンクロハジロばかりだった。三つの池の周りをゆっくりと回る。1〜数羽確認できたのはマガモ、ホシハジロ、カワウだけだった。公園の中は、暮れの慌ただしさを感じない時間があった。
(2004年1月の徒然)に続く